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Data:フェミニズムのための新たな4文字言葉 / Anita Gurumurthy(共著Nandini Chami)

法律: ICT APC GenderIT

Data:フェミニズムのための新たな4文字言葉

2016年5月31日

Anita Gurumurthy

共著Nandini Chami

1. データ化された存在

データ化において、近代後の世界はカフカ的な苦境に遭遇している:追跡されているがゆえに私たちは存在する!

社会科学からサイエンス・フィクションの映画まで、アルゴリズムの知性によって管理された社会は、私たちの共通してもつ人間の状態から避けられないものとして提示されてきた。これは理由のないものではない。そこらじゅうで、データ生産の量と速度、多様性が爆発的に増加している徴候を目にしている。私たちのオンラインでの社会的相互作用の感情的および認知的な労苦は今日の資本主義に非常に貴重な情報をもたらしている。そして、無線自動識別技術(RFID)とモノのインターネットのような技術は身体を完全にデジタルで取り囲むようにする。データ化において、近代後の世界はカフカ的な苦境に遭遇している:追跡されているがゆえに私たちは存在する!

あらゆるところに広がったデータという社会体制は、すべての社会的な制度と活動を変化させている。ビジネスインテリジェンスは、組み立てラインの流れ作業やサービスのパーソナライゼーション、市場細分化における効率の向上に関して、ビッグデータに基づく分析に基礎をおいている。社会的行動のデータへのアクセスは、市場の独占的な支配のための鍵である。モンサントの例を取ろう。2013年にモンサントはデータサイエンス企業のClimate Corpを買収した。農業生産サイクルについての有益なデータへのアクセスを独占することで市場支配力を強化することを意図したものである。モンサントは農業生産物の会社から、200億米ドルの収入機会を狙う市場インテリジェンスとなった。極めて明白に、データに対する支配は、問題となっている企業(自らのことを「持続可能な」農業企業だと呼んでいる)が、顧客に買うべきものを教えることで、農場レベルでの決定に直接影響を与えることを可能にするだろう。今日では、「自動車内部」で接続された利用者の経験をパーソナライズすることに関して新たに発生してきたビジネスチャンスをつかむために、AppleとGoogleが自動車産業へと進出してきた。

AmazonのAからZomatoのZまで、プラットフォーム社会を具体化する全く新しいアルファベットがあらわれてきた。その中では資本主義はもはや経済体制ではなく、社会秩序である。社会正義と社会的公正に対するフェミニストの懸念はこの存在に関する危機に置かれている----つまり、政治に対してさえ容赦のない全知として、あらゆる領域に広がり、あらゆる領域をとらえている、データに基づく意思決定の圧倒的な物価安定策である。選挙はデータに基づくマインド・コントロールのもとに闘われ、勝利され、発展はデータによる誤りのない予見で定められるべき「厄介な問題」である。持続可能な開発データのための国際連合グローバル・パートナーシップの背後にいる国際開発の官僚から、Clinton Good Initiativeの社会貢献資本家や福祉制度の技術管理者まで、新たな呪文は「話を行動へと変えるためのデータの力(を利用すること)」となったようだ。

フェミニズムはデータ化された世界の問題にどのように取り組むべきだろうか? この局面において、自己とその社会性をフェミニストの観点からどのように理解するべきだろうか?

2. データ風景についてのフェミニストの読み

では、フェミニズムはデータ化された世界の問題にどのように取り組むべきだろうか? この局面において、自己とその社会性をフェミニストの観点からどのように理解するべきだろうか? 以下の節では、これらの問題に取り組む。最初に、データに基づく制度的方法やシステムがフェミニストの懸念や奮闘に対して含み持つ意味について見る。

2.1 新自由主義社会における社会的再生産

すでに言及したように、データ経済の広がりは資本主義の新たなモデル----新自由主義社会----と同一延長上にあり、そこではデジタル利用者の非物質的な労苦----愛情や心配りの行為----は行動に関するデータ・セットへと変換され、私的利益によって収奪される。「友情のように、かつては経済的な論理の外側にあったすべてのものが、その内部へと持ち込まれている」。Facebookは母の日を祝うように勧めてくるだけでなく、愛情をどのように表現するべきかを示し、ピンクのものすべてを値引きして、じれったがらせる。

情動を盲目的に崇拝することによって、そうして日々の生活の再生産についての疑問を回避することによって、データ化された接続性は再生産の動きを「神秘化の世界へと後戻り」させる。(Federici)

「共有経済」の出現は、ネットワーク資本主義の組織が寄って立つ第三世界の労苦の実質性を分かりにくくする。責任ある消費者----タクシーを共有し、カウチを諦める人----の美徳にとって魅力的なように、それは逆説的に利他的な他人による相互依存の社会を表現する。データ化された接続性は、オンラインのコミュニケーション/製品が経済活動----採掘とマイクロチップ、レアアースの製品----に依存している事実を見過ごし、現在組織されているそれらの経済活動が、極めて破壊的かつ社会的、生態学的に女性による地域のエコシステムを窒息させ、彼女たちの身体を搾取しているという事実を見逃している。情動を盲目的に崇拝することによって、そうして日々の生活の再生産についての疑問を回避することによって、それは人々を再生産することはただの「感情」と「感覚」の生産の問題だと示唆することで、再生産の動きを「神秘化の世界へと後戻り」させる。

それゆえ、フェミニズムにとっての重大な問題は感情の結びつきについてのものである;どのようにして、同時代の局面における接続され共有された共存は、資本主義の論理を超えて意味のある連合と間主観性を可能にすることができるのか。

2.2 データに基づく意思決定の「認識的な暴力」

より多くのデータとその十全な利用により持続可能な開発をもたらすことが出来るという先験的な前提は、今日の開発に関する言説を特徴付ける。私たちの必要とする世界はデータの世界であるというのが絶対的な総意である。国際連合によって2015年9月に始められた持続可能な開発データのためのグローバル・パートナーシップは、この考えを例証する。このイニシアチブは世界中から70を超える政府と市民社会団体、国際組織、専門家のネットワークを集め、持続可能な開発目標を達成するための「データ駆動型の意思決定を強化する」ためのものだった。

この技術解決主義の新商品はウェストファリアの開発モデルが解き放ってきた一連の「認識的な暴力」行為の最新のものである。官僚的な開発と権限付与のプロジェクトは勇敢な、新しい、技術的な文明を追い求め、そこにおいて人間は2種類にわけられる:問題を定める「ソーシャル・エンジニア」(特権的な白人男性と解釈できる)とそれに従って行動するだけの「操作された」人々(従属的な女性と解釈できる)。データというイデオロギーは、政策立案者たちをこのユートピアに向かって駆り立てながら、アルゴリズムが審議と議論を決定する(そして、それに置き換わりさえする)ことを要求する。市民は顧客として個別にサービスを受け、彼らのデータは支配のための基礎となる。Twitterという公会堂の代表性に対する堅い信頼とともに、審議はテクノロジーを通して管理される。そして女性の積極的な市民権の行使はジェンダーのデジタルデバイドの橋渡しを通して対処されるべきものだと想定される。市民権そのものは、このようにして、「ネットワーク・データの複合体」----新自由主義資本主義の開発モデルを促進する「大技術企業とその後援者である政府」との間の力強い連合----によって身代金要求のためにとっておかれる。

データは先験的な真実であるという本質主義とデータが真実全体を代表することが出来るという普遍主義に対して、フェミニズムは意義を申し立てなければならない。

この社会の改変において、「個人的な恥を公共の請求権へと変え、私的な秘密と無知を公開の光に照らされ目に見えるものへと変えることに関わる政治の側面」のための余地はない。参加は技術的なアクセスと同等であり、民主主義のスペクタクルによるものと同じように媒介される。参加についてのこのアルゴリズムの秩序において、異議の表明によって現れ出てくる社会的に排除された人々の立場やその倫理的・政治的要求は、もっともらしさが減じられるだけでなく、単純に非合法化される。

公共空間と民主主義のこのような転換におけるフェミニストの行動は、データは先験的な真実であるという本質主義とデータが真実全体を代表することが出来るという普遍主義に対して、意義を申し立てなければならない。

データが確かに、現実の強力な再構築を可能にすることができると仮定すると、転換的な変化のための知識を構成するそのプロセスは、より深い倫理的・政治的討議に基づかなければならない。倫理と政治の複雑性から不安定となったデータの世界----私たちが目撃しているような----は、結局のところ、フェミニズムが知っているような、民主主義のまさにその本質を危うくする絶対主義になることがある。

2.3 真の自己の喪失

パーソナライズされた接続性は社会性に関する自己中心的なモデルに基礎が置かれている。

私たちのデジタルの存在を印付ける「スーパー・パノプティコン」のもとでは、主体は「監視の網の目」、つまり、分散した多様なアイデンティティ----それぞれはオンラインのやり取りの中で生じる----を要求するデータベースの言説によって生み出される。それらの具現化された対応物は、これらのデータ対象の存在を認識することすらなく、これらの主体は彼女に似ることすらできない。彼女がそうなることを要求されるものであることやそれになること(「私である」ことや「私が好む」ことから「あなたがそうである」ことや「あなたが好むであろう」ことへ)において、強力な企業と国家機構の両方によって、監視対象は彼女のデジタル化されたアイデンティティの断片を用いて統制される。ニュースフィードのアルゴリズムを通して利用者の選択を操作するFacebookのことや、福祉制度を通してシングルマザーの生殖行動を標的にした監視のことを考えてみればいい。どちらの例においても、データベースは振る舞いの遠隔管理を推し進めている。

パーソナライズされた接続性は社会性に関する自己中心的なモデルに基礎が置かれている。データによる強欲は、「他者を妬ましそうに見つめながら、自身の中に閉じ込められるようになる」ことへと個人を追い込む。自尊心はますます大衆性----ソーシャルメディアで得られる「いいね」と、その結果として、さらに一層望ましいことのためにしなければならないことへと自己規制すること----に関わるものとなる。モロゾフが明敏に観察したように、私たちが個人データを自主的に引き渡していることは、公共の利益とは何の関係もない:「広告から資金を得ている無料サービスを利用しないでいるには、私たちはあまりに安っぽすぎる。あるいは、フィットネスやダイエットを追跡記録したいがために私たちはデータを売る」。

現在の接続性のパラダイムはこのようにして存在論的、倫理的、政治的危機が強調されており、そこにおける個人はデータによって、データとして構成される。

3. データと民主主義

たとえポストモダンのネットワーク社会の倫理的および社会的、政治的危機の深さが十分にかつ一般に理解されていない、あるいは論じられていないとしても、急騰するプラットフォームの支配力は統治の危機の前兆でありデータ・ガバナンスにはっきりと見られるということが場所によっては認識されている。スノーデン後のネットワーク・データの複合体は国際政治経済学と国家の権威主義の断層線としてあらわにされてきてもいる。政府間組織と革新政権はこれらの違反に当然気づき始めており、大部分はプライバシーの権利の枠組みからそのような違反行為を規制する様々な方策を策定している。

2013年に国連総会はオンラインとオフラインの空間におけるプライバシーの権利の不可侵性を支持する決議68/167を採択した。これは2015年4月にプライバシーの権利に関する特別報告者の任命とともに再調査され、特別報告者は私たちの暮らす全面的な監視という「オーウェル的な世界よりも悪い」状況への注目をもたらした。2016年4月に欧州議会は既存のプライバシー規制に影響の大きな変更を加えた。それは、市民の忘れられる権利とデータ・ポータビリティの権利を支持するものであり、これらの規制に違反している企業に重い罰金を課す権力を監督機関に与えるものである。これらの措置は法律とその制度的機構が対応しようとしている初期の頃にさまざまな反発にあった。他に世界経済フォーラムのようなものは、プライバシーを適切に保護することの出来る大規模なデータシステムの「優れた実践」という問題に気を取られている。それはデータ・セットの分散ストレージの重要性や、データ・セットの組み換えや自動の不正防止機構のついた監査のための権限付与の適正手続きの重要性、「データそのものよりもむしろデータについての疑問に答えること」のみを許可する前もってプログラムされたSQLクエリ/データベース・ビューの使用の重要性を強調している。

これらの勧告の多くは自由主義の観点から生じており、すべての個人の生活の中には、国家やその他の主体が侵害してはならない「孤独と親交、秘密性」の領域があると理解することを、プライバシーの権利と同一視する。この観点は歴史的に、個人の自由に対する国家の行きすぎた行為に異議を申し立てるために展開されてきた----そして、現在の文脈では、大規模な生体認証と福祉監視制度を生み出そうとする国家の試みに異議を唱えるための強力な基盤となっている。

しかしながら、「個人的であることは政治的である」というフェミニストの立場からは、民主主義におけるプライバシーへの考慮は2つの点からの試験に合格しなければならない。個人は自由と平等に関して、政治的な形態だけでなく私的な形でも正当な利益を有するものとしてみなされなければならない。したがって、社会的権力に比例した公開の義務(個人はプライバシーに対してほとんど同じニーズをもつことはできないと仮定する)だけでなく、公的・政治的生活の繁栄に不可欠な情報や決定、物理的なプライバシー(自分だけの部屋)に関する共通の最低基準の両方を、プライバシーの権利は含まなければならない。常に、より大きな公共の利益と私的な領域が同時に考えられなければならない。APCによるインターネットのフェミニスト原則の第11番目の原則が告げているのはこの点である:「(私たちは)オンラインの個人的なデータや情報へのアクセスを誰がどのような条件のもとでもっているかを知ることや、それらの情報を永久に消去できることを含めて、自らのすべてのオンラインの個人的なデータや情報へとアクセスでき、それらの情報を制御する力を行使でき(なければならない)。しかしながら、この権利は公開情報へのアクセス権や透明性、説明責任との釣り合いを取る必要がある」。

絶対的なプライバシーの権利もなければ、初期設定の「開放性」もない。

プライバシーに関するこの議論を取り扱うもう一つの方法は、プライバシーと開放性は同じコインの裏表だと認めることである。これは、データの「公開」性(その典型的な例はUN Data Revolution Groupの報告書である)やあらゆるデータの開放性(オープン・データの言説のような)を強く勧めるイデオロギー的な言説が必ずしもプライバシーの考えと相反するわけではないということを理解する手助けとなる。Vasil Terzievがその話題に関するブログエントリーで述べたように、「プライバシーと開放性の両方の背後にある人々の動機は、あなたの選択を管理しているというのと同じ考えから生じている. . . (だから)データ保護と開放性の規制とを分離するべきではなく、むしろ公開情報を管理するが奨励もする一つの枠組みであるべきである」。

絶対的なプライバシーの権利もなければ、初期設定の「開放性」もない。たとえ公的資金で作られたものだとしても、すべてのデータがパブリックドメインで公開されることを要求されるとは限らない。この点に関する先験的な前提は皮肉なことに、個人の私生活を既得権益へと開くことで、公共の利益を弱めるかもしれない。そういうわけで、どのデータが公共であるべきで、どのデータが非公開のままであるべきかは、法的・制度的枠組みによって裏付けされた厳しい、文脈固有の政治的な決断でなければならない。

ビッグ・データ・コモンズに関するP2P学者たちの取り組みは、この考えをさらに進めるために極めて重要な制度的取り決めを思い描く上での手がかりを私たちに与える。オンライン情報源Big Data in Our Handsで指摘されたように、その解決策は「ビッグ・データ・コモンズ. . . を構築するための基盤として匿名化されたビッグデータのプールを創りだすこと」にあるかもしれない。

このプールを作る際には、いくつかの重要な原則が組み込まれるだろう:

- 個人レベルで:ユーザーはもはやデータを進んで引き渡すことはない
- 規制レベルで:データの独占には疑問が投げかけられる。
- 社会的レベルで:人々は以下のものに参加することが出来る。(a)環境の実存的な部分[すなわちデータの作成と共有]や、(b)政治的プロセス(規則や分配などに関する意思決定)、(c)経済的プロセス(そこにおいて「私」のデータは、私自身が自らを有効に使うことの出来る、あるいは第三者に利用させることの出来る、潜在的な経済的資源となる)。

フェミニストのアプローチは、コミュニティとつながりに関する徹底的な実践を通して、データの時代における主観性と社会性の危機が再想像されることを要求する。

だが、データ化され、断片化した社会----全てに行き渡った信頼の喪失----という基本的な矛盾に対して対応することの出来るものとは何だろうか? データ・イデオロギーの専横が政治的な意思決定を侵略しているときに、女性が一般の民主的な生活を知る方法や土台を崩していく方法が周縁化されることに対して、私たちはどのように対応するべきだろうか?

フェミニストのアプローチは、コミュニティとつながりに関する徹底的な実践を通して、主観性と社会性の危機が再想像されることを要求するだろう。この出発点は、民主主義を定義し、取り戻すための、そして社会正義と社会的公正を推進するインターネットを介した社会的パラダイムを想像するためのフェミニストの要請に基づいている。この徹底的な実践において、データはただの経済的資源ではなく、日常の民主主義を支えている情報と法的制度の構造に関する深く根付いた家父長制の慣例に挑戦する新たな市民の存在論の基礎である。予想しうる未来にとってのデータ・コモンズはそれゆえ、市場の論理のみに基づくことはできない。生活のあらゆる領域で自らの自律性と自己決定を行う特権を与える新たな市民知性のサービスへとデータを持ち込むことによって、それは最も社会的に排除された女性とジェンダー・マイノリティの希望と憤激に対応しなければならない。この責務に相応の制度的枠組みは、非商用アプリケーションの接続性によって、女性の技術的・政治的働きや市民権、連帯を促進しつつ、多様なミニ・パブリックスを生み出しながら、より大きな公共の利益において自らのデータを管理することを可能にする状況を積極的に促進するものでなければならない。

これは空想的な理想ではない。今日、the Ugly Indianスペインの地方自治主義とオープンソースの市の運動のような市民生活における試みは、地方自治を奪うグローバル化する世界における自己決定と主権の問題に関与するボトムアップのコミュニティ・プロセスの可能性を提示している。データとコミュニティが小さいことは大きいことと同じくらい意義があるということをそのような実践が暗黙のうちに認めている一方で、より進んだ民主主義のための闘いの中に注ぎ込まれ、混じり合った家父長制とジェンダーに基づく力の問題を残したままにする。

女性の中で最も社会的に排除された人々はゆっくりと情報政策に関わり始めている。フェミニストの技術活動家たちはコードに関して新たな観点を持ち込んでいる。だが、これらの組織は、アプリに対する熱中を遥かに超えた空間を創る地域のデータや情報、知識の運動を構築するためのつながりを築かなければならない。女性を完全な市民権から遠ざける排斥の状況に取り組む必要がある。この代替的なデータ空間において、自らの人生や生活を管理するための、コミュニティのささやかなデータ主権----ミニ・パブリックスとしての----は、譲渡不可能なものである。残念ながら、データの倫理と民主主義のためのデータのための関連する制度的メカニズムは、国際的および国民的な討論において議論されることはめったにない。

これが最後の点へと私たちを導く。民主主義とジェンダーの公正のための潜在的に破壊的な力としてのフェミニストのミニ・パブリックスを維持し、触媒作用を及ぼすものは、社会的・非営利的コモンズとしてのインターネットの少なくとも一部を保存し、養うための新たな虚構と支配の配置を要求する。データの覇権主義的な実践とその現在の支配者の免責に対して異議を申し立てることが出来るのは、複合的なミニ・パブリックスに関する代替的なデータの実践を通してのみである。

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更新日:2016-08-23 07:02:59 shikimi 1  del.icio.usに追加   はてなブックマークに追加   twitterに投稿   facebookでshare
[ 原文 ] http://www.genderit.org/node/4738/ Creative Commons License この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。
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