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枯れた森、死が目前の人びと:ベトナムのエージェント・オレンジと化学兵器 / フレッド・ウィルコックス

2011年12月13日

戦争の忌まわしい歴史のなかで、核兵器以外に、これほどまでに非人道的な悲運が生存者に刻まれたことはない。

----トン・タット・トゥン博士、ベトナムの科学者

ベトナムの密集したジャングルをかき分けて進む米兵には、鳥の切り裂くような鳴き声やサルたちの騒がしい声、高圧線のようにブンブンと唸る虫の声が聞こえた。しかし、軍用輸送機C-123プロバイダーが森の上を低空飛行してエージェント・オレンジを森にまき散らした後には、地面は墜落した森の鳥たちや麻痺したり瀕死のサルたちで埋め尽くされた。ゆったり流れる小川の水面には死んだ魚の群れがまるでボタンのようにきらめいていた。数年後、退役軍人たちは航空機が除草剤を散布したとき、自分たちも森と同じようにずぶ濡れになったことを思い出すであろう。エージェント・オレンジを浴びたあと目まいに襲われ、鼻や口から出血し、皮膚発疹や激しい頭痛で消耗したことを思い出すであろう。エージェント・オレンジはダイオキシンの一種、テトラクロロジベンゾジオキシンを含む除草剤で、癌や胎児性奇形を引き起こす、変異原生の高い化学物質である。

除草剤作戦に遭遇したベトナム人たちは、目まい、鼻や口の出血、嘔吐、それに手足の麻痺、偏頭痛などの症状を訴えた。また枯葉剤を浴びた後、家畜は生育不良や病気になり、死ぬこともあったと訴えた。ベトナムでエージェント・オレンジが大量に使用された後の1967年末、サイゴンの新聞は新種の奇形児を「結合双生児」と名付けて記事の連載を始めた。そのうちの一つ、『ドンナイ紙』は死産だった女性の記事を載せ、まるでアヒルのような顔の胎児の写真を掲載した。頭が二つ、手が三本、指が20本で生まれた赤ん坊たち、羊やプードル犬のような頭の赤ん坊たち、脚が三本の赤ん坊たちの記事もあった。ベトナム政府はこれらの先天的欠損症はいわゆる「沖縄バクテリア」が原因であると主張した。先祖代々同じ土地で家族が暮らしてきた農民は、このような奇妙な現象はこれまで見たことがないと述べた。米国はこうした訴えを共産党のプロパガンダだと退けた。
 

1975年4月30日、北ベトナム軍の戦車がサイゴンの大統領官邸に突入して、私たち米国の、最長にして2番目に高くついた、南北戦争以後最も大きな分断を生んだ戦争が終結した。5万8135人のアメリカ人が戦死し、30万4704人が負傷し、2231人が戦時下に行方不明となった。500万人以上のベトナム人が死亡または負傷し、13万1000人の戦争未亡人と30万人の戦争孤児が発生した。[1]
 

米国政府は、まるでベトナムが米国を陥れて侵略させ、その上正々堂々と戦うことを拒否したかのごとく戦争の成り行きに怒り狂い、ベトナムとの通商を停止し、この戦火で荒廃した国への民間による救済計画を封じ、新たな方法でかつての敵国を罰することにした。ベトナムで初めて米軍が除草剤を使用した1961年からエージェント・オレンジの使用を中断した1970年に至るまでに使用された化学兵器によって、ベトナムの林冠の重なり合う壮大なジャングルは有害な墓場と化し、マングローブの森は不気味で荒涼とした風景となった。エージェント・オレンジなどの除草剤の長期にわたる被害についてほとんど、または全く知らない人は、木々はそのうちに再生し、トラ、クマ、象その他の動物もいずれ戻ってくると言った。ベトナムに対する最終の枯葉剤作戦から40年、今もってジャングルは再生していないし、いつになったら再生するのか誰にも確証はない。

1978年の春、自称「健康マニア」の28歳のポール・ルーターシャンは『トゥディ』〔アメリカNBCの番組〕に出演し、次のように発言して多くの視聴者に衝撃を与えた。「私はベトナムで任務に就いたために死ぬんです。しかしそうなるとは何も気がつきませんでした。」軍用輸送機C-122プロバイダーが散布した除草剤の雲間をポールはヘリコプターの機長としてほぼ毎日飛行していた。ポールは散布によってジャングルに切り込まれた黒っぽい帯状の列を目撃した。またマングローブの森が病変して枯れ、褐色になっているのを見た。しかし自分自身の健康被害を気に掛けたことはなかった。米軍は兵士たちに対し、エージェント・オレンジは「人間や動物にはさほど有毒ではない」ことを請け合っていた。[2]

自分自身の病気、それにベトナムで任務についた他の退役軍人たちの病気もエージェント・オレンジに晒されたことが原因であると確信したポールは、国際エージェント・オレンジ被害者連盟(Agent Orange Victims International)を立ち上げ、その後ダウ・ケミカルやエージェント・オレンジの戦時下の生産メーカーに対し集団訴訟を起こした。1978年12月14日、ポール・ルーターシャンは結腸、肝臓や腹部の末期癌で亡くなった。そのとき退役軍人擁護局はエージェント・オレンジの被曝と病気との関係を否定、その後も数年にわたって否定し続けた。[3]

エージェント・オレンジは健康被害を及ぼすのではないかという退役軍人の危惧に対し、国防総省は、空軍パイロットが樹木を破壊して後6週間経過するまで、戦闘部隊は枯葉剤が散布された区域には立ち入っていないと答えた。国防総省によれば、その間に除草剤の残留物質は分解され、兵士が有毒な化学物質を浴びた場合の許容値にまで下がるとのことであった。

米国政府の主張について尋ねると退役軍人たちは「からかっているのか?」と一笑に付した。「むしろ6時間、いや、6分だろう。我々は襲撃してくる敵を身を沈めて待ち伏せしていた。エージェント・オレンジまみれになった水や食料を口にしたり、あのシロモノが浸み込んだ地面で眠り、直接浴びもしたんだ。びしょ濡れさ。政府は嘘をついている。自分の都合のいいように話を作ることはできるだろうが、本当のことを知っているのは我々だ。政府の人間はその場に居なかったんだからね。居たのは我々だ。冗談はやめてくれ。」

私は著書 『死ぬまで軍を待って:エージェント・オレンジの悲劇』でレイ・クラークについて書いた。彼は、米国の化学兵器作戦がピークのときベトナムで任務についていた海兵隊員である。祖国に帰って数年たったある朝、血尿に気がついた。驚いて、すぐさま退役軍人局病院へ向かった。そこで医師は、クラークが採尿容器にケチャップと水を混ぜたのだろうと言った。「医師たちは、私が障害の補償を受けるために何か細工をした、問題は精神状態だと言ったんだ。」とクラークは語った。「医師たちは膀胱癌を除くあらゆる検査した。脳スキャンや腎臓への造影剤の注入を行い、ノイローゼだと診断し、てんかんの検査までした。」

結局、何ヵ月もたって退役軍人局はレイ・クラークが実際に膀胱癌であると診断した。

レイ・クラークは、大腸癌、肝機能障害、精巣癌、心臓病と診断される若い退役軍人や、妻が流産を繰り返す、あるいは子供が16箇所も先天性欠損症で生まれた退役軍人と出会った。

「長年にわたって、積極的にこれらの症状すべての原因を突き止めようと研究に取り組む者は誰一人としていなかった。せいぜいネズミ、ハツカネズミ、ウサギ、ニワトリ、サルについて研究しダイオキシンが癌や死亡の原因となり、次世代の奇形や死亡の原因になることを発見したにすぎない。その結果を私達に応用することはなかった----人間に散布されたシロモノは、1979年に環境保護局が禁止した一般向けトリクロロフェノキシ酢酸のほぼ20倍に相当する200パーセントものダイオキシンに汚染されていたのだが、それを米政府は認めようとはしなかった。ナーム川に散布されたシロモノの中には4700パーセントも強く汚染されていたものもあった。広い範囲に何度も散布された。政府が認めたくないのは、自国の兵士を殺した責任をとらねばならないからだ。」[4]

1982年以後、私は全国を回って、科学者、弁護士、医師にインタビューし、退役軍人たちから聴き取り調査を行った。退役軍人は退役軍人局病院の職員から侮辱的な対応を受け、適切な治療を拒否されていた。また、仮病を装っていると非難され、政府から金を巻き上げようとしているだけだと言われたり、本当の身体的疾患ではなく戦闘によるストレス障害からアルコール依存症や麻薬中毒になっていると言われてきた。退役軍人やその家族に、なぜ政府はそのような侮辱的態度をとるのかと質問すると、彼らは「私達全てが死ぬのを政府はただ待っているだけなんだ。」と答えた。

 

あれからずいぶん長い年月が過ぎた。何人のベトナム帰還兵が人知れず、苦しみながら、エージェント・オレンジによって鬱状態になって亡くなったことだろう。彼らが任務を果たした政府のケアを受けることはほとんどないと知りながら。

戦闘の真最中、グエン・チ・ゴック・フオン医師はサイゴン(現在はホーチミン市)のツーヅー産科病院の若手研修医だった。美しく、非常に明るいフオン女医は、化学兵器の恐さについて調査、執筆、発言することに一生を捧げている。

「私は除草剤散布について何も知りませんでした。エージェント・オレンジについてもです。ところが1969年のある日、生まれて初めて、重症の奇形児を取り上げました。頭と腕が無いのです。母親は自分の子どもを見ていません。私は涙と驚愕を見せないようにしました。母親に赤ちゃんの姿を伝える勇気はなく、虚弱児であると伝えました。赤ちゃんは亡くなりました。私は母親に、とても弱かったので生きることができなかったとだけ告げました。」

フオン医師はその後も、多数の手足のない新生児、結合双生児、脳が欠損あるいは無い新生児、無頭の新生児、目を明けることも泣くこともなく生まれて数日後に亡くなった新生児の出産に立ち会った。ツーヅー病院では胎児に形成されていない血の塊りを出産した女性もいた。フオン医師は、自身が体験したことや耳にした先天性欠損症が、米軍によるベトナムのジャングルや森の破壊作戦と関係があるのではないかと疑惑を抱き、同僚にも伝えた。

「私は同僚からひどく批難されました。私は実際にそのような新生児をみているのであり、いずれ時間が経てば人びとは私を信じてくれることは分かっていました。しかしそれまでに10年かかりました。とにかく何が間違っているのかを見つけねばならないと感じたし、なんとしても親や子どもたちを支援したいと思いました。」

絶望に突き落とされるような奇形児を生んだ若い母親たちをどのように慰めるかフオン医師が奮闘している一方で、米国の科学者たちは、動物実験により、エージェント・オレンジの成分の一つであるトリクロロフェノキシ酢酸は、最低投与量でも、口唇口蓋裂や失明、目の奇形、のう胞腎や肥大肝を発生させることを突き止めていた。この研究の結果はフオン医師が若い母親に奇形児を生んだことを伏せた1969年まで公表されていなかった。

フオン医師は続ける。「ベトナムで起きたことは、国家が数年間大量に化学兵器を使用するという人類史上でこれまでになかったことなのです。二度と繰り返してはなりません。絶対に。エージェント・オレンジの影響についてツーヅー病院で多くの研究を行いましたし、他の国の科学者も同じようにように研究しました。アーノルド・シェクター医師はベトナム女性の母乳が高いレベルでダイオキシンに汚染されていることを発見しました。また私たちは、他の有毒化学物質同様にダイオキシンが母親の身体から胎盤を通して発育中の胎児へと移動することも発見しました。ベトナムには高い濃度のダイオキシンが存在する『ホットスポット』があり、ダイオキシンが食物連鎖に取り込まれ、人びとはダイオキシンに汚染された魚、カモ、野菜を食べているのです。」 [5]

ツーヅー病院を見舞うことを要請したり、彼女をはじめとするベトナムの医師たちや科学者が動物や人間へのダイオキシンの影響について行った多数の研究を分析するように、エージェント・オレンジの製造メーカーに要請したのか尋ねると、フオン医師は笑ってこう言った。

「勿論、何度もベトナムに来るように呼びかけました。しかし、彼らは来ませんし、話合いもしません。避けているのです。製造メーカーは私の研究結果をみれば信じると、ずっと思っています。そしていつか米国政府や化学薬品企業はエージェント・オレンジの犠牲者の救済に同意すると思います。しかしもし会社が補償を拒否するなら、その製品を買うべきではありません。世界各地で不買運動をすべきです。」

2004年、化学兵器によるベトナムの被害者たちはダウ・ケミカル、モンサント、その他エージェント・オレンジのメーカーに対して集団訴訟を起こし、これらの会社を戦争犯罪で訴えた。この訴訟を取り仕切ったのはジャック・ウェインステイン連邦判事で、なんとも皮肉な、実に唖然とするような人事であった。彼は1983年に、ベトナム帰還兵を法廷に出頭させないようにうまく処理した判事である。帰還兵やその家族はダイオキシンのような化学物質を人が浴びた場合、どのようになるのかを世界に示したかったのである。彼らはダイオキシンを含んだ生成物全てが市場から排除され、発癌性および突然変異性の化学物質を国際的に禁止することを願った。彼らは化学兵器の被害者に対する正義を求めたのであり、彼らの苦痛に対する侮辱的な和解金を求めたのではない。

エージェント・オレンジの製造メーカーは原告側に1億8000万ドルを支払う示談に応じた。退役軍人側はこの合意は「裏切り」であり解決ではないと呼びかけた。退役軍人の夫がエージェント・オレンジの被曝で亡くなったことを証明できた女性は3700ドルを受け取ることになった。全身に障害を負った退役軍人に10余年支払われる金額は1万2000ドルである。原告の弁護に補助金を出した出資団体は75万ドルを受け取った。「言いなりになる投資者」である弁護士はその尽力に対して時給1700ドル受け取った。130万ドル余り受け取った法律事務所もあれば、180万ドル以上受け取った事務所もあった。裁判所は弁護士報酬として総計1300万ドルを授与したのである。[6]
 

あの裁判から20年後、ウェインステイン判事はベトナム人原告に不利な採決を下し----証人のなかにはベトナム帰国後まもなく死亡した人もいる----、控訴裁判所はウェインステインの判決を支持した。エージェント・オレンジのメーカーの広報担当者によれば、彼ら製造メーカーが米軍に2000万ガロンを超えるエージェント・オレンジを売ったのは、指示に従って愛国的義務を果たしたに過ぎない。それ故、米軍兵士やベトナムの人びとが訴えている被害が米軍の東南アジアにおける枯葉作戦に由来するものと断定されても、それに対して支払う義務は法的にも道徳的にもないとのことだ。エージェント・オレンジは、微量でも非常に毒性が高いと科学界で周知のテトラフロロジベンゾジオキシンを含んでいる。少なくとも一社、ダウ・ケミカルが、そのダイオキシンが「人間にとって致命的になりかねない」と分かっていたとしても何の変わりもない。ジョン・F・ケネディとリンドン・ベインズ・ジョンソンは枯葉作戦に署名し、議会は毎年のようにベトナムで除草剤を使用する予算を認めたのである。エージェント・オレンジの使用は小さな貧困国を共産主義者の乗っ取りから守るという崇高な使命に不可欠な要素だったのである。

世界的に著名な科学者であり作家であるサンドラ・スタイングラーバーによれば、米国市場には少なくとも8万種の毒性化学物質が存在し、そのうち4000から8000種は発癌性物質である。「現在、私たちの40パーセント以上(女性は38.3パーセント、男性は48.2パーセント)が生涯のうちで癌にかかる。癌は今ではアメリカ人全体の死因の第2位であり、85歳以下の成人では脳梗塞、心臓病を抜いて第1位である。」 [7]

ダイオキシンが人間に有害との見解を裏付ける有効な証拠はない、とエージェント・オレンジの製造化学メーカーはその主張を変えない。誰もが知っている人間への発癌性物質が動物にも癌を引き起こすことや、人間の先天性欠損症の原因となるほぼ全ての物質が動物にも引き起こすことを、メーカーの科学者が知らないとは思えない。アメリカの子どもの死因が、障害や暴力を除けば癌が1位であり、世界の科学界ではダイオキシンは発癌性物質とされていることを化学メーカーは認識するべきである。

50万人の子どもを含む300万人のベトナム人が化学兵器の悲惨な遺産に苦しんでいる。ベトナムではエージェント・オレンジに被曝した第3世代や第4世代が誕生している。いつになったらこの惨禍が終結するのか誰も分からない。退役軍人は50代後半か60代前半を迎え、東南アジアでダイオキシンに長期にわたり被曝したために病気を発症するか死亡している人たちがあまりにも多い。私たちは友人、隣人、夫、妻、子どもを癌で失いつつある。多国籍企業が大気中、水中、食料品に毒性化学物質をどっさり投げ込むことを私たちがくい止めない限り、この連鎖はいつまでも続く。

ベトナム人と私たちは同じ立場にある。彼らの苦しみを無視することで、私たちはまた自らを傷つけているのだ。

フレッド・A・ウィルコックスの最新著書は『Scorched Earth : Legacies of Chemical Warfare in Vietnam』、ノーム・チョムスキーが序文を寄せている。 その他、『Waiting For an Army To Die : The Tragedy of Agent Orange』、『 Fighting the Lamb's War : The Autobiography of Philip Berrigan 』、『 Disciples& Dissidents : Prison Writings of the Prince of Peace Plowshares』、『Uncommon Martyrs : How the Berrigans and Others Are Turning Swords into Plowshares』、『 Chasing Shadows : Memoirs of a Sixties Survivor 』の著作がある。彼はイサカ・カレッジ文芸学部の準教授である。
 

出典:Fred A. Wilcox, ' Dead Forests, Dying People: Agent Orange& Chemical Warfare in Vietnam, ' The Asia-Pacific Journal Vol 9, Issue 50 No 3, December 12, 2011.

1 Jerold M. Starr, Ed. The Lessons of the Vietnam War. ( Pittsburg: Center for Social Studies Education, 1991 ) pp. 261-7 ).

2 Fred A. Wilcox, Waiting for an Army to Die: The Tragedy of Agent Orange ( New York: Random House, 1983 ), Introduction.

3 Ibid.

4 Ibid, p. 14.

5 Fred A. Wilcox, Scorched Earth: Legacies of Chemical Warfare in Vietnam ( Seven Stories Press, 2011 ), p. 162.

6 Ibid. p. 69.

7 Sandra Steingraber, Living Downstream ( Da Capo Press, 2010 ), p. 47.

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• Ikhwan Kim, Confronting Agent Orange in South Korea

• Nick Turse, A My Lai a Month: How the US Fought the Vietnam War

• Heonik Kwon, Anatomy of US and South Korean Massacres in the Vietnamese Year of the Monkey, 1968

• Nick Turse and Tam Turse, America's Forgotten Vietnamese Victims: Two Men, Two Legs, and Too Much Suffering

• Taylor Owen and Ben Kiernan, Bombs Over Cambodia: New Light on US Air War

• Ngoc Nguyen and Aaron Glantz, Vietnamese Agent Orange Victims Sue Dow and Monsanto in US Court

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更新日:2012-01-30 16:12:14 ozawa 3  del.icio.usに追加   はてなブックマークに追加   twitterに投稿   facebookでshare
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