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謝辞
2009年3月6/8日
悲劇は米国も襲う
兵士の自殺
フィル・アリフ
2008年10月20日の早朝、ティモシー・オールダーマン上等兵がコロラド州フォート・カーソンのバラックで自ら自分の生に終止符を打った。死因はどうやら調剤薬を過剰に服用したことらしい。
21歳のオールダーマンは、イラクのラマディ市に駐留していた。長期にわたって中東に派遣される前、彼は精神衛生上の問題に苦しんだことは一度もなかった。実際、彼の医療記録によると、彼は自分が帰国後に困難を抱えるとは考えていなかったという。というのも、彼は、「人々を殺してお金を得ることをおおむね楽しんでいた」のだから。
ところが、イラクやアフガニスタンで兵務に服した何万人もの退役兵と同様、オールダーマンもまた、戦場を後にしたものの戦場は彼を離してくれなかった。
彼は心的外傷後ストレス障害(PTSD)の症状と格闘することになった。PTSDは、米国の「対テロ戦争」が生み出した象徴的な病状だった。
Salon.comのマーク・ベンジャミンとマイケル・デ・ヨアンナによる調査シリーズによると[1]、オーヅラーマンは帰国後、彼の指揮系統に助けを求めたが、彼の部隊の軍曹から屈辱的なコメントを投げつけられたという。それは例えば、「俺の目の前から消え去って自殺すればよい。そうすれば面倒な書類書きをしなくてすむからな」といったものだった。
10月13日、自殺の一週間前、オールダーマンは、イラクでの経験についての宣誓陳述書を書いている兵士達の小グループに参加した。陳述の中で彼は、2007年2月の戦闘経験について繰り返し繰り返し悪夢にうなされたと書いている。このとき彼は、即席爆発装置に爆破された車両から同僚兵士のバラバラ死体を引っ張り出していた。
「助けが欲しかったんだけど、まともに扱われているとは思えなかった」とオールダーマンは陳述書に書いている。「精神的な支援だ。毎日、必死だった」。
軍は彼の死を自殺と認定したが、別の可能性もある。オールダーマンは、彼の精神状態から軍の医療担当者が彼に処方したたくさんの強い薬の致命的な相互作用の結果、死亡したことも考えられる。ベンジャミンとデ・ヨアンナによると:
記録によると、退役後、医者たちはオールダーマンに抗不安薬として0・5ミリグラムのクロノピンを一日三回、抗発作薬としてネウロティン800ミリグラムを一日三回、麻酔薬のような鎮痛剤ウルトラム100ミリグラムを一日三回、ジェオトン20ミリグラムを正午に、80ミリグラムを夜に双極性障害への対処として、禁断症状にも使われる血圧剤クロノディン0・1ミリグラムを一日三回、抗うつ剤としてレメロン60ミリグラムを一日一回、プロザック10ミリグラムを一日二回、処方していたという。
オールダーマンはまた、ザナックスとモルヒネも服用していたという。
軍は、彼の死を、自殺というよくある悲劇の一例として片付けようとしたが、証拠から、彼の治療にあたった者たちが、彼の症状を適切に特定し対処しようとしなかったことがうかがえる。
実際にベンジャミンとデ・ヨアンナは、軍のある精神病医に、オールダーマンが服用していた薬と服用量について尋ねた。「まさか!」とその精神科医は答えた。「無茶苦茶だ。あらゆる決まりを破っている。投薬しすぎだ。それはひどい」。
オールダーマンの死を自殺と見なす証拠として、軍はオールダーマンが壁にピン止めしていた手紙をあげる。これは既に亡い母親に宛てたものだった。けれども、オールダーマンの軍友たちによると、手紙の中身は遺書のようではなかったという。
自殺であれ事故死であれ、避けがたい結論が一つある。米軍は、オールダーマンが帰国したのち、適切な治療を受けることができるようその気になればはるかにたくさんのことができただろう、ということ。
オールダーマンの元ルームメートは、オールダーマンの死の責任は全面的に軍にあるという。「彼の死が自殺じゃないことを私は知っている」と、彼はベンジャミンとデ・ヨアンナに話した。「病院から退院させるべきじゃなかったんだ。事実として軍が私の友人を殺したんだ。なにかしなくてはならない。軍は四方八方で人々を殺し、誰もそれに関心を向けない」。
***
彼の部隊の隊員たちによると、オールダーマンは約250の戦闘任務に参加し、確認されただけで16人を殺したという。今、彼は、2008年に自殺した128人の兵士の一人に加わった。軍自身の統計によると、これは過去30年間でもっとも高い自殺率であるという。
オールダーマンのような退役兵士が戦闘に関わる精神的健康の障害について助けを求める際、直面する障害はいくつかある。
第一に、汚名がある。トラウマの症状がきわめて明瞭なときでも、そうした問題を認める兵士は、助けを求めることと、兵士を戦場に送らんとする軍の絶え間ない圧力との間の対立に直面する。既に多くの兵士が繰り返し戦地に派遣されている中、またとりわけ軍のマッチョ文化の中では、精神衛生上の問題は一般に、注意を払う必要があるほど十分深刻な問題とは考えられない。
次に、精神衛生上の障害を認めることへの心配がある。というのも、それは将来の昇任に影響を与えるかも知れないからである。
さらに、十分な医療----とりわけ精神面での医療----を提供することに関して、軍にの怠慢が蔓延している。PTSDを認めず治療もしない場合もあれば、ストレスや怪我に悩む兵士に薬を過剰投与する場合もあるが、戦争に関わるトラウマは、帰国後に十分な治療を受けていない退役兵士を危機に陥れている。
退役軍人援護局(VA)は、軍を引退した退役兵士の医療問題を扱っているが、自殺やトラウマへの対処に関しては、軍と同様に怠慢である。
米国が自称「対テロ戦争」の8年目に突入する中、軍もVAも、現役兵士および退役兵士の膨大なニーズに対処するための十分な予算や人員を割り当てていない。
一例として、イラクとアフガニスタンで兵務についた経験のある約30万人の退役兵士のうち、約5人に一人が、帰国後、大うつ病やPTSDを患っているが、そのうち治療しようとしているのは約半数にすぎない。理由の少なくとも一部は、医師やほかの治療を予約するための待ち時間が長すぎることにある。
昨年4月のCBSニュースが行った報道によると、VAの精神衛生担当部長アイラ・カッツは、退役兵士の自殺未遂について、VAの部内電子メールの中で次のように述べているという:
シー! 自殺予防コーディネータによると、我々の医療施設に来ている退役兵士の中で一カ月に1000人の自殺未遂がある。これについては、誰かが見つけ出して暴露する前に、何らかの発表を通して(注意深く)取り扱うべきものではないだろうか?
しかしながら、2007年11月、公表された話の中で、カッツはCBSニュースに対し、「VAには自殺の蔓延はない」と述べている。一カ月に1000人の退役軍人が自殺未遂をするのが「蔓延」でないならば、何を「蔓延」というのだろう?
カッツの二枚舌はうすら寒い----既にVAに入会している退役兵士たちにとってだけでなく、今日イラクやアフガニスタンへの派遣を命じられ、今よりさらに過剰な負担を抱えた精神衛生治療体制の待つところへ帰国するだろう現役兵士にとっても。
***
2006年10月、バグダード南部の米軍第10山岳師団で偵察を務めたザック・チョート技術兵が車両に乗って戦闘パトロール任務にあたっていたとき、即席爆発装置が爆発し、彼は射手塔から投げ出された。治療のために米国に戻ってきたのち、彼は名誉戦傷章を授与された。彼もまたPTSDを診断された。
除隊したのち、彼は自分の高度傷害保険請求が終わるまで7カ月待たなくてはならなかった。しかもその前に、軍から自分の医療記録を手に入れるために1年以上かかっていたのである。彼は現在、アトランタのVA病院で定期的に治療を受けているが、自分が抱えているPTSDの問題は十分な処置を受けていないと彼は言う。
「私のPTSDがどんな感じか知るために医者が聞く質問といえば、自殺したい気分になるか、どんな薬を飲んでいるか、だけだ」と彼はインタビューで言う。「私が抱える問題について医者はちゃんとした訓練を受けてないようだ」。
ほとんどの退役兵士にとって、軍の医療からVAの医療に移ることは、もっともきついことの一つである。高度傷害保険請求が認められるまでの待ち時間に加え、軍に丸2年勤務しなかった退役兵士の負傷をめぐる問題がある。戦闘でどんな怪我を負ったとしても、2年間軍に勤務していないと、兵士たちはVAの治療を受ける資格を持てないのである。
この方針は、新兵教育を終えて直ちにイラクやアフガニスタンに送られた兵士たちの退役後の福利を危機に陥れている。
ワシントンでオバマ政権が発足したため、帰国後の退役兵士の世話についてはかつてないほど期待が高まっている。ブッシュ政権----GIが軍を離れて大学に行くことを恐れ、退役兵士の教育支援改善にさえ反対していた----のあからさまな怠慢のあとなので、とりわけ期待は高い。
けれども、海外で米国が進める戦争の激化と国内の経済危機の中、退役兵士の世話をするために必要な予算は、退役兵士と文民がともに新政権にこれを強く要求して行かない限り、割り当てられることはないだろう。「戦争と占領にではなく、仕事と教育に予算を」という要求のもとに力を結集することが、退役兵士が必要な福利を手に入れるために不可欠である。
フィル・アリフは米軍第10山岳師団の一員としてイラクに派遣された。現在は、「戦争に反対するイラク退役兵士の会」(IVAW)のメンバー。2007年3月、彼はIVAW最初の現役兵部門の設立を支援し、献身的な反戦活動家となった。
本記事は最初「ソーシャリスト・ワーカー」紙に掲載された。
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